山本東次郎家

三世山本東次郎則重

明治31年(1898年)9月26日、横浜の貿易商・河内茂男の次男として生まれる。本名・晋(すすむ)。両親を結核によって相次いで亡くし、大分県竹田市の父方の祖父母のもとに預けられるが、曾祖父が狂言を、祖父が謡を嗜んでいた縁で、二世山本東次郎を紹介され、明治40年(1907年)10月、上京し、内弟子となる。

大正4年(1915年)、「三番三」を披く。昭和4年(1929年)1月、東洋大学文学部支那哲学科を卒業、同年、二世山本東次郎の養嗣子となる。昭和6年(1931年)11月、『釣狐』を披く。昭和7年(1932年)、『花子』を披く。昭和10年(1935年)9月、二世東次郎の死去に伴い、家督を相続、同年11月に三世山本東次郎を襲名。

昭和21年(1946年)5月より狂言の学校公演を開始、敗戦後アメリカ文化一色に染まっていく日本を憂い、狂言を通して若者たちに日本の古典文化の真髄を伝えていくことを悲願とする。全国各地での学校公演は脳出血で倒れる寸前まで続けられた。昭和32年(1957年)12月、「能楽」が重要無形文化財の指定を受けると、その一員として認定を受け(重要無形文化財総合指定)、翌昭和33年(1958年)3月の「重要無形文化財保持者認定による日本能楽会創立記念能」で「三番三」を勤める。昭和39年(1964年)7月26日、死去。勲四等瑞宝章受章。著書『間狂言の研究』(1941年 わんや書店)。

三世山本東次郎則重
ページの先頭へ